「ねぇ、お姉ちゃんも地上から来たんでしょう?」
「え? あ、うん……そうだよ?」
スレイの右側に女の子が座り、その前にマカは座って話を始めた。
「地上には"ていえん"の他になにがあるの?」
「うーん精霊がいっぱい……いてくれたらなぁ」
「精霊ってなあに?」
女の子の無邪気な質問に、マカは自分の幼い頃を思い出し、くすぐったい気持ちになった。
「精霊図鑑を見せてやるといい」
スレイの言葉に「うん」と笑顔で頷き精霊図鑑を取り出し、開いて女の子に見せた。決して明るいとはいえない場所で、オレンジの光を浴びた精霊の絵を見て、女の子は目を輝かせていた。その様子を見ていたスレイがオルクスが言っていたことを思い出した。
ー ティアと契約させることはできないのか
「マカは精霊を見たいのか?」
スレイがマカに訪ねた。少し考えた後、マカは答えた。
「小さい頃は近くにいてくれた気がするの。あたしが生まれたときにお父さんは死んだらしいんだけどね、病弱だった母さんが一人でここまで育ててくれて、よく精霊の話をしてくれたわ。この精霊図鑑も母さんが作ってくれたのよ」
「マカ、君はーー」
スレイが何かを言おうとしたがマカがそれを遮った。
「わかってる。王位を受け継ぐものだけが精霊を見ることができるって、でも母さんには見えてた。あたしが信じてれば、それが真実だもの……」
小さくため息をついたマカは続けた。
「あたしはこのまま太陽王様の元で使用人になっていいのかな……」
ティアはマカの肩を抱くように寄り添っている。スレイは黙ってその様子を見ていた。
「この金色の精霊すっごくキレイ。なんの精霊なの?」
熱心に精霊図鑑を見ていた女の子が話しかけてきた。ティアはマカの元を離れ、女の子の頭上から図鑑を眺めた。
『ふん、我の魅力に気づくとはいい女になるぞ』ティアが嬉しそうに話す。
「これは風の精霊よ、お母さんが最後に描いた絵画にも登場してるの」
スレイはティアを見て、再びオルクスの言葉を考えていた。
(精霊がいつもそばにいることを知ったら、マカは太陽王に頼むのだろうか……)
すごく楽しそうに話すマカを見ていたティアはスレイの視線に気づいた。
『お前、見えているのか?』
スレイは無反応のまま視線を落としマカを見た。無視されることに慣れているティアだが、何かを思い詰めた様子でスレイに話しかけた。
『後で……話をしたい』
スレイはマカが見ていないことを確認し、ティアを見て無言で頷き、すぐに視線を外した。
「もう夕刻だから帰るね!」
そういって立ち上がって駆け出した女の子に、マカは立ち上がり、出口に立って手をふった。
マカが振り返ると、スレイが立ち上がってこちらを見ている。その足下の床には精霊図鑑が広げられている。ティアはマカの頭にあごをのせた。
「ここを出よう」
「……うん」
マカはそう言って精霊図鑑を鞄にしまい、服についた土を手ではたいた。ふと、スレイの笑った横顔が頭に浮かび、思ったことを口にした。
「さっきの女の子、すごく懐いてたみたいだね。スレイも、なんか感じが違った」
「ああ、妹が……いや」
スレイは言葉をにごした。マカはスレイの家族に妹がいることを知り、すでにこの世にいないことを再確認することになった。
「あの、……ごめん」
スレイはまた謝らせてしまったと思い、マカの顔を見て驚いた。マカは下を向いて今にも泣き崩れそうな顔をしている。
『泣けばいいんだぞ、マカ』ティアはマカの頭に手をのせた。
『おい小僧、どうにかしろ!』オルクスはスレイにどなる。
「どうにかしろと言われてもな……」
スレイはマカに聞こえないよう小声で心境をつぶやた。スレイは対処の方法がわからず汗をかく。その時ふいに思い出した。庭園で幼い頃の自分を抱きしめてくれた小さな手が心を癒してくれたことを。
マカは自分が泣きそうになっていることに気づき、慌ててスレイに背中を向けて言った。
「ごめん、急いでここをーー」
スレイはマカの肩をつかみ、振り返ったマカをそっと抱きしめた。
「…………!?」
マカはびっくりして思わず身を固める。
『な……どうにかしろとは言ったがーー』オルクスが驚いて声を上げた。
『いいんだオルクス』
ティアに目の前に手を出され、オルクスは「いいのか?」と聞こうとしたが口にするのをやめた。オルクスから見たティアは、子どもを見守る母親のような顔をしていたからだ。
マカは何が起こったのかわからず固まっていた。これまで男性に抱きしめられたことは当然ないわけで、左耳に感じる鼓動が現状を理解するのを早めた。
「あ、あああ、あの、スレ……イ?」
「俺が泣きそうな時、王子がこうしてくれた」
スレイはそう言ってより強く抱きしめた。
(笑顔に救われたって言ってたのは王子のことだったんだ)
マカはだんだんと緊張をほどいた。
(あったかい……)久しぶりに感じた人のぬくもりに涙が込み上げてきた。
「……ふえ」と小さい声がもれた。スレイの胸に顔をうずめると、子供のように声を出して泣き出した。泣いて思い出すのは、いなくなった母のことばかり。
寝る前に必ず抱きしめてくれたこと。
時折寂しそうな顔をする母に笑ってほしくて笑顔を向けたこと。
そうすることで優しく笑う母が大好きだったこと。
突然この世を去って一人で迎えた夜のこと。
一人で起きた朝、一人で食べるご飯、一人で読む新聞、一人で出かけた休日。
面影が残る家で過ごすのが苦しくて、学校の使用人になったこと。
悲しくないフリをして泣かないようにしたこと。
涙がポロポロこぼれて、スレイの服を濡らしていく。夢で母の顔を思い出せなくなったのも、思い出そうとしなかったからだとマカは思った。マカはこのとき初めて母の死を受け入れ、初めて人前で泣いた。
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